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2017年07月13日(木) 記事No.2230
イグサは世界の湿地に自生し、約300種あるとされています。
(イグサ(イグサ科、イグサ属)、学術的には『イ』といい、日本全土に自生する多年草です。畳表に使われるのは、『イ』の栽培品種で、コヒゲといいますが、一般的にはイグサと呼ばれています。)
日本で、イグサの利用の始まりは弥生時代で、現在のような住まいの敷物としてではなく、遺体を包んで埋葬したり、古墳時代には遺体や副葬品(鉄器や、銅鏡等)を包む梱包材料として使われていたようです。
世界ではオリエント遺跡でも同じようなものが見られたようです。
この時代のイグサの織物はムシロみたいな物で、その折方は現在の畳表のような経糸が表に出ないものとそのこのような織り方との2種類でした。
古墳時代以降に有力な支配層の住居に寝室のような寝所が作られるようになり、その床の敷物としてムシロ、イグサの編み物が使用されていきます。
このイグサの敷物に現在の畳のような畳表に畳床が付きはじめたかは正確には分かりませんが、
奈良時代の正倉院に薦(こも)を重ねてイグサの筵(むしろ)をかぶして、錦の縁(現在の畳縁の原形)をつけたものがあります。
平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていたことが絵巻物などで見ることが出来ます。
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2016年09月15日(木) 記事No.2202
P2090047.jpg
畳表の製造は明治初期の殖産産業としてとても重要でした。
畳表を織り上げる織機は地機と言われた座り機でしたが、明治31年に岡山県から足踏み式織機が導入された。
昭和時代になると動力式織機が開発され、畳表の生産量は飛躍的に増加しました。
昔から畳表は麻糸をたて、イグサを横として織られた織物です。
今では見られませんが短いイグサを中央部で継ぎ合わされたものを中継ぎ表と言います。
短いイグサでも無駄にしない織り方で、慶長年間に山南村の長谷川新右衛門が考案したとされています。
現在では農業技術の発達で、長いイグサが栽培されるので、1本のイグサが両端まで通った引通表になっています。
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2016年08月30日(火) 記事No.2197
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平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていて、この頃には畳床、畳表、畳縁、が一体となった現代の畳に似た物になったようです。そして畳(畳床、薦の枚数)の厚さや、畳縁の(畳縁は奈良時代からあった)模様や色で座る人の身分が、決まり厳しい身分制のもとに、封建的な制度や風習が出来ていきました。
その中で高い身分の方に使われる、繧繝縁(写真左)や高麗縁(写真右)は古代に寺院を飾る錦として渡来した織物を、畳縁に使用したものといわれています。
この頃の絵巻に火事の絵が描かれているものがありますが、畳を担いで走る人の絵が書かれているので、とても畳は貴重で大事なものであったのがうかがえます。

鎌倉時代はじめごろはやはり置き畳での使用だったようで、絵巻物等にも来客のための座具や寝具用にに畳を運んでる絵が描かれています。
しかし鎌倉時代の終わり頃には現代と同じように建物の一部として部屋に畳を敷き詰めてある様子が絵巻(法然上人絵伝)に描かれています。
これは位の高いごく一部の貴族の邸宅での話で、庶民にはまだ畳は縁遠いものであったと考えられます。

イグサ http://tatamiyamori.blog90.fc2.com/blog-entry-912.html



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2016年04月19日(火) 記事No.2164
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畳表の製造は明治初期の殖産産業としてとても重要でした。
畳表を織り上げる織機は地機と言われた座り機でしたが、明治31年に岡山県から足踏み式織機が導入された。
昭和時代になると動力式織機が開発され、畳表の生産量は飛躍的に増加しました。
昔から畳表は麻糸をたて、イグサを横として織られた織物です。
今では見られませんが短いイグサを中央部で継ぎ合わされたものを中継ぎ表と言います。
短いイグサでも無駄にしない織り方で、慶長年間に山南村の長谷川新右衛門が考案したとされています。
現在では農業技術の発達で、長いイグサが栽培されるので、1本のイグサが両端まで通った引通表になっています。


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2016年02月15日(月) 記事No.2151
元禄年間になると武家社会や寺社などだけではなく民家の中でも畳が敷き詰めるようになったようで、畳の需要は増大し、江戸、大阪などで畳屋、畳刺などと呼ばれる畳職人が増えました。
このころ畳奉行が出現しました。畳職人にも6階級の身分制度が出来上がり、1畳屋、2畳刺、3手間取、4職人、5出居家、6弟子など身分統制的制度が設けられ職能が確立されました。
この頃の浮世絵や漫画で、葛飾北斎や北尾政美は畳職人の様子を描いたものがあります。
畳表では関が原の戦い以後、安芸(あき)・備後(びんご)両国(後の福山藩)49万8000石の大名となった広島城主、福島正則が慶長7年(1602)備後表の上品3100枚(3500枚の説もある)を幕府に献上し、献上表として以後毎年の慣例となりました。
福島氏はい草作付けに関する生産資金の無利子貸与、献上表の改め役設置をし、生産保護や品質管理策を行い、商用表の流通は運上銀(税)徴収の目的から藩外の搬出地を指定して抜け売りの防止を図りました。元和5年(1619)福島氏は改易されましたが、その後水野氏、阿部氏もその政策を継承しました。
その頃、広島山南村長谷川右衛門が中継ぎ表を発明したとされます。(現代ではほぼ使われていない畳表)
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2015年12月26日(土) 記事No.2138
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畳表の製造は明治初期の殖産産業としてとても重要でした。
畳表を織り上げる織機は地機と言われた座り機でしたが、明治31年に岡山県から足踏み式織機が導入された。
昭和時代になると動力式織機が開発され、畳表の生産量は飛躍的に増加しました。
昔から畳表は麻糸をたて、イグサを横として織られた織物です。
今では見られませんが短いイグサを中央部で継ぎ合わされたものを中継ぎ表と言います。
短いイグサでも無駄にしない織り方で、慶長年間に山南村の長谷川新右衛門が考案したとされています。
現在では農業技術の発達で、長いイグサが栽培されるので、1本のイグサが両端まで通った引通表になっています。


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2015年11月20日(金) 記事No.2133
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平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていて、この頃には畳床、畳表、畳縁、が一体となった現代の畳に似た物になったようです。そして畳(畳床、薦の枚数)の厚さや、畳縁の(畳縁は奈良時代からあった)模様や色で座る人の身分が、決まり厳しい身分制のもとに、封建的な制度や風習が出来ていきました。
その中で高い身分の方に使われる、繧繝縁(写真左)や高麗縁(写真右)は古代に寺院を飾る錦として渡来した織物を、畳縁に使用したものといわれています。
この頃の絵巻に火事の絵が描かれているものがありますが、畳を担いで走る人の絵が書かれているので、とても畳は貴重で大事なものであったのがうかがえます。

鎌倉時代はじめごろはやはり置き畳での使用だったようで、絵巻物等にも来客のための座具や寝具用にに畳を運んでる絵が描かれています。
しかし鎌倉時代の終わり頃には現代と同じように建物の一部として部屋に畳を敷き詰めてある様子が絵巻(法然上人絵伝)に描かれています。
これは位の高いごく一部の貴族の邸宅での話で、庶民にはまだ畳は縁遠いものであったと考えられます。

イグサ http://tatamiyamori.blog90.fc2.com/blog-entry-912.html



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2015年07月06日(月) 記事No.2100
イグサは世界の湿地に自生し、約300種あるとされています。
(イグサ(イグサ科、イグサ属)、学術的には『イ』といい、日本全土に自生する多年草です。畳表に使われるのは、『イ』の栽培品種で、コヒゲといいますが、一般的にはイグサと呼ばれています。)
日本で、イグサの利用の始まりは弥生時代で、現在のような住まいの敷物としてではなく、遺体を包んで埋葬したり、古墳時代には遺体や副葬品(鉄器や、銅鏡等)を包む梱包材料として使われていたようです。
世界ではオリエント遺跡でも同じようなものが見られたようです。
この時代のイグサの織物はムシロみたいな物で、その折方は現在の畳表のような経糸が表に出ないものとそのこのような織り方との2種類でした。
古墳時代以降に有力な支配層の住居に寝室のような寝所が作られるようになり、その床の敷物としてムシロ、イグサの編み物が使用されていきます。
このイグサの敷物に現在の畳のような畳表に畳床が付きはじめたかは正確には分かりませんが、
奈良時代の正倉院に薦(こも)を重ねてイグサの筵(むしろ)をかぶして、錦の縁(現在の畳縁の原形)をつけたものがあります。
平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていたことが絵巻物などで見ることが出来ます。
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2015年05月25日(月) 記事No.2088
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平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていて、この頃には畳床、畳表、畳縁、が一体となった現代の畳に似た物になったようです。そして畳(畳床、薦の枚数)の厚さや、畳縁の(畳縁は奈良時代からあった)模様や色で座る人の身分が、決まり厳しい身分制のもとに、封建的な制度や風習が出来ていきました。
その中で高い身分の方に使われる、繧繝縁(写真左)や高麗縁(写真右)は古代に寺院を飾る錦として渡来した織物を、畳縁に使用したものといわれています。
この頃の絵巻に火事の絵が描かれているものがありますが、畳を担いで走る人の絵が書かれているので、とても畳は貴重で大事なものであったのがうかがえます。

鎌倉時代はじめごろはやはり置き畳での使用だったようで、絵巻物等にも来客のための座具や寝具用にに畳を運んでる絵が描かれています。
しかし鎌倉時代の終わり頃には現代と同じように建物の一部として部屋に畳を敷き詰めてある様子が絵巻(法然上人絵伝)に描かれています。
これは位の高いごく一部の貴族の邸宅での話で、庶民にはまだ畳は縁遠いものであったと考えられます。

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2014年12月22日(月) 記事No.2031
イグサは世界の湿地に自生し、約300種あるとされています。
(イグサ(イグサ科、イグサ属)、学術的には『イ』といい、日本全土に自生する多年草です。畳表に使われるのは、『イ』の栽培品種で、コヒゲといいますが、一般的にはイグサと呼ばれています。)
日本で、イグサの利用の始まりは弥生時代で、現在のような住まいの敷物としてではなく、遺体を包んで埋葬したり、古墳時代には遺体や副葬品(鉄器や、銅鏡等)を包む梱包材料として使われていたようです。
世界ではオリエント遺跡でも同じようなものが見られたようです。
この時代のイグサの織物はムシロみたいな物で、その折方は現在の畳表のような経糸が表に出ないものとそのこのような織り方との2種類でした。
古墳時代以降に有力な支配層の住居に寝室のような寝所が作られるようになり、その床の敷物としてムシロ、イグサの編み物が使用されていきます。
このイグサの敷物に現在の畳のような畳表に畳床が付きはじめたかは正確には分かりませんが、
奈良時代の正倉院に薦(こも)を重ねてイグサの筵(むしろ)をかぶして、錦の縁(現在の畳縁の原形)をつけたものがあります。
平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていたことが絵巻物などで見ることが出来ます。
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