- 2016年08月 の記事一覧
- 2016年08月30日(火) 記事No.2197 平安時代~鎌倉時代の畳
- 2016年08月25日(木) 記事No.2196 セキスイ美草
- 2016年08月19日(金) 記事No.2195 ただいま
- 2016年08月18日(木) 記事No.2194 岩手町
- 2016年08月17日(水) 記事No.2193 奥中山高原
- 2016年08月16日(火) 記事No.2192 岩手町畑
- 2016年08月15日(月) 記事No.2191 岩手町花火大会
- 2016年08月14日(日) 記事No.2190 岩手町
- 2016年08月10日(水) 記事No.2189 縁無し切欠け
2016年08月30日(火) 記事No.2197

平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていて、この頃には畳床、畳表、畳縁、が一体となった現代の畳に似た物になったようです。そして畳(畳床、薦の枚数)の厚さや、畳縁の(畳縁は奈良時代からあった)模様や色で座る人の身分が、決まり厳しい身分制のもとに、封建的な制度や風習が出来ていきました。
その中で高い身分の方に使われる、繧繝縁(写真左)や高麗縁(写真右)は古代に寺院を飾る錦として渡来した織物を、畳縁に使用したものといわれています。
この頃の絵巻に火事の絵が描かれているものがありますが、畳を担いで走る人の絵が書かれているので、とても畳は貴重で大事なものであったのがうかがえます。
鎌倉時代はじめごろはやはり置き畳での使用だったようで、絵巻物等にも来客のための座具や寝具用にに畳を運んでる絵が描かれています。
しかし鎌倉時代の終わり頃には現代と同じように建物の一部として部屋に畳を敷き詰めてある様子が絵巻(法然上人絵伝)に描かれています。
これは位の高いごく一部の貴族の邸宅での話で、庶民にはまだ畳は縁遠いものであったと考えられます。
イグサ http://tatamiyamori.blog90.fc2.com/blog-entry-912.html
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2016年08月25日(木) 記事No.2196
2016年08月18日(木) 記事No.2194

今日で岩手の田舎から千葉に帰ります。
子供のころから見ている懐かしい景色ともしばしお別れ。また来年。




おみやげは桃に茗荷にとうきび(とうもろこし)、きょううり。
午前中収穫しました。
帰路につきます。

子供のころから変わらない薪ストーブのある囲炉裏。
もちろん現役。
暖房というよりも調理器具としての使用がメインです。
木の燃える香りがたまりません。
2016年08月17日(水) 記事No.2193

今日は台風予報なので、一日待機かと思いました。
でも朝は小降りでした。
奥中山高原の釣り堀が開いていたので釣り堀でイワナ釣り。
釣れたのはいいが芝生のほうまでイワナが行ってしまいました。
ここは焼いてもらうのがただなので焼いてもらいました。
おいしかった~
天気も天気なので貸し切り状態でした。
ありがとうございました。
2016年08月16日(火) 記事No.2192
2016年08月14日(日) 記事No.2190