2010年09月27日(月) 記事No.1334
戦国時代、北陸の朝倉氏の居館跡から畳表や畳床が出土していて、これらは現代の畳と同じ構造で、武家屋敷や寺などに畳が普及していたと考えられます。
大阪畳屋町が出現します。
この頃から綿布団が普及し始め、ごく一部でしょうが、町や農村にも畳が敷き詰められるようになります。
安土桃山時代には城郭造営の流行により畳屋町が形成され、千利休による草の四畳半茶室ができます。
畳表の材料である藺草(イグサ)栽培方法が初めて文献に現れるのは戦国時代の伊予の豪族土井清良の「清良記」で、日本最古の農書として藺作法が記されています。
農業全書「元禄10年(1697)」には備後地方の藺作法や畳表の製織法が詳しく書かれています。(著者は広島藩出身の農学者、宮崎安貞)

この時代、御用達畳師という畳職人の藺阿弥家が代々足利氏、織田信長、豊臣秀吉に仕え、徳川家に仕えてからは藺阿弥を伊阿弥と改めて、幕末まで幕府の御用達畳師として続いたそうです。
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