2012年04月18日(水) 記事No.1672
イグサは世界の湿地に自生し、約300種あるとされています。
(イグサ(イグサ科、イグサ属)、学術的には『イ』といい、日本全土に自生する多年草です。畳表に使われるのは、『イ』の栽培品種で、コヒゲといいますが、一般的にはイグサと呼ばれています。)
日本で、イグサの利用の始まりは弥生時代で、現在のような住まいの敷物としてではなく、遺体を包んで埋葬したり、古墳時代には遺体や副葬品(鉄器や、銅鏡等)を包む梱包材料として使われていたようです。
世界ではオリエント遺跡でも同じようなものが見られたようです。
この時代のイグサの織物はムシロみたいな物で、その折方は現在の畳表のような経糸が表に出ないものとそのこのような織り方との2種類でした。
古墳時代以降に有力な支配層の住居に寝室のような寝所が作られるようになり、その床の敷物としてムシロ、イグサの編み物が使用されていきます。
このイグサの敷物に現在の畳のような畳表に畳床が付きはじめたかは正確には分かりませんが、
奈良時代の正倉院に薦(こも)を重ねてイグサの筵(むしろ)をかぶして、錦の縁(現在の畳縁の原形)をつけたものがあります。
平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていたことが絵巻物などで見ることが出来ます。
この頃には畳床、畳表、畳縁、が一体となった現代の畳に似た物になったようです。そして畳(畳床、薦の枚数)の厚さや、畳縁の(畳縁は奈良時代からあった)模様や色で座る人の身分が、決まり厳しい身分制のもとに封建的な制度や風習が出来ていきました。
その中で高い身分の方に使われる、繧繝縁(写真左)や高麗縁(写真右)は古代に寺院を飾る錦として渡来した織物を、畳縁に使用したものといわれています。
この頃の絵巻に火事の絵が描かれているものがありますが、畳を担いで走る人の絵が書かれているので、とても畳は貴重で大事なものであったのがうかがえます。

平安時代には貴族の住まいの建築様式である寝殿造に座具や寝具としての置き畳として使われていた畳ですが、室町時代になると商品経済、手工業の発達により、様々な専門職である手工業職人が活動するようになったと考えられます。
文献等に莚打(むしろうち)、畳差(たたみさし)などが見られますが、莚打は筵を編んだりする専門職のようで、この筵は現在の畳表に近い物だと考えられます。
畳指しは文献に出てくるもっとも古い畳職人の名称のようです。
畳の使用はごく限られた階層の物でありましたが、この頃から書院造や神社などでは敷き詰めるようになり、高貴な身分の方の寝具を兼ねた敷物(ござ 御座)から建物の一部となって行ったようです。


ござ 御座
〔「おわします」の漢字表記「御座」を音読みした語〕

(1)天皇や貴人の席。おまし。
「―をしつらえる」
(2)おいでであること。いらっしゃること。
「是に―の事は如何なる人も知り候はじ/太平記 11」
(3)貴人の席に、畳の上にさらに重ねて敷く畳。上げ畳。
「―といふ畳のさまにて、高麗などいときよらなり

おまし 御座
(1)貴人が座ったり、臥せったりする所。また、貴人の居室。
「西の対に―などよそふ程/源氏(夕顔)」

(2)貴人の敷物。
「ここかしこ―ひきつくろはせなどしつつ/源氏(蓬生)」

みまし
貴人がすわる所。御座所。また、その敷物。
「大宮人に―しかせん/新勅撰(秋下)」

和室を御座敷(おざしき)といいますが、ござ 御座(畳)を敷き詰めるとところからも由来するようです。
鎌倉時代はじめごろはやはり置き畳での使用だったようで、絵巻物等にも来客のための座具や寝具用に畳を運んでる絵が描かれています。
しかし鎌倉時代の終わり頃には現代と同じように建物の一部として部屋に畳を敷き詰めてある様子が絵巻(法然上人絵伝)に描かれています。
これは位の高いごく一部の貴族の邸宅での話で、庶民にはまだ畳は縁遠いものであったと考えられます。



戦国時代、北陸の朝倉氏の居館跡から畳表や畳床が出土していて、これらは現代の畳と同じ構造で、武家屋敷や寺などに畳が普及していたと考えられます。
大阪畳屋町が出現します。
この頃から綿布団が普及し始め、ごく一部でしょうが、町や農村にも畳が敷き詰められるようになります。
安土桃山時代には城郭造営の流行により畳屋町が形成され、千利休による草の四畳半茶室ができます。
畳表の材料である藺草(イグサ)栽培方法が初めて文献に現れるのは戦国時代の伊予の豪族土井清良の「清良記」で、日本最古の農書として藺作法が記されています。
農業全書「元禄10年(1697)」には備後地方の藺作法や畳表の製織法が詳しく書かれています。(著者は広島藩出身の農学者、宮崎安貞)

この時代、御用達畳師という畳職人の藺阿弥家が代々足利氏、織田信長、豊臣秀吉に仕え、徳川家に仕えてからは藺阿弥を伊阿弥と改めて、幕末まで幕府の御用達畳師として続いたそうです。

イグサ
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